高那旅館に戻ったら、女将さんが風車と黄色いビニル袋でシーサーを飾り立てていた。
聞けば明日は(数え年で)97歳を迎える女将さんの叔父さんの“マンダラー祝い”で、島を挙げてお祭りとパレードが催されるので「時間があればぜひ観て行ってください」と声を掛けてくれた。
<<<竹富島の一つ前の投稿はこちら
宿の入口にも横断幕が。
「マンダラー」とは風車のことで、反時計回りに回転する風車が、時間を戻して子供に還る輪廻の象徴なのだとか。97歳になると子供の心に還るという言い伝えから、こうした風習ができたらしい。
ちなみに竹富島では「マンダラー」だが、八重山の各地域では「カジマヤー」と呼ぶのだそう。
高那旅館の別館のシーサー。沖縄赤瓦を利用してつくられていることがわかる。
旅館の入り口にある待合室の前は、いきなり民家のような部屋になっており、お婆ちゃんがいる実家に戻って来たような気分に。
旅行サイトのレビューでもボリュームたっぷりと評判の晩ごはん。小鉢まで全てが家庭料理のような味付けで、温かい気持ちになる。刺し身はマグロとイラブチャー(アオブダイ)。左上の石垣牛は、身がしっかりと締まっていて噛みごたえがあり、口の中でじわじわと牛肉の味が滲み出てくる。島の南側にある養殖場育った車海老もうまい。
おかずを食べるだけで胃袋の限界を超えてしまい(残さず食べた)、お櫃の中の炊き込みご飯(じゅーしぃ)に全く手を付けられなかったのが心残り。
このお椀がカラダに染み渡るように美味かった。
大瓶を一本空けてから旅館オリジナルの泡盛をちびちび飲んでいるうちに、他の客は部屋に戻ってしまった。女将さんに「もうちょっと此処で飲んでいても構わないか」と訊ねたら、まぁ仕方ないねという感じで承諾してくれた。
九州はもとより沖縄本島よりも遥かに台湾に近いこの島で、さっき出会ったばかりのお婆さんの手料理を腹がはち切れそうになるほど食べ、「NHKのど自慢チャンピオン大会2015」をぼけっと観ながら泡盛で酩酊し、外に出たら月明かりに照らされた白い道が闇に続いている。自分が今どこでなにをしているのか。急に現実感を喪失した。
かなり酔っ払っていたけど、部屋に戻っても他にやることはないし、まだ21時にもなっていなかったのでカメラと三脚を持って部屋を出た。なにせここは、驚くほどの星たちが天を覆うことも魅力の島なので、(経験はないけど)のんびりと写真に収めてみたい。でも今夜は雲だけではなく空の霞が光を遮っていて、肉眼では東京とさして変わらないほどにしか星が見えなかった。そのまま1km近く離れた船着場まで歩こうと思ったけど、宿から数分のところにある集落の端境で北斗七星が見えたのと、その先があまりにも暗すぎたこともあり、その場に三脚を据えた。
するとどうだろう、1分近くシャッターを開けると、肉眼ではほとんど星が見えないのに、月明かりに照らされた地表と星たちがくっきりとデータに記されている。夢中になってシャッタースピードを変えながら写真を撮っていると、程なくして自分の瞳孔が少しずつ開くにつれて、闇の重さを纏いながら周りの景色がぼんやりと見え始めた。耳を澄ませば、騒がしいほどの虫の声と、低く唸る鳥達の声に取り囲まれていた。
北斗七星と地表の道路が呼応するようにカーブを描いている・・・ことに気付いたのはたった今。
月明かりだけなのに、道路や樹木の色が再現されていることに驚いた。
デイゴの花が見事に咲くと、その年は台風の当たり年で天災に見舞われるという言い伝えは『島唄』でも知られている。そしてこの花は県民投票で選ばれた「沖縄県の花」でもある。
朝になって目覚めたら、風は強いものの雨は降っていなかった。島の皆さんも胸を撫で下ろす。
朝ごはんも品数が多く、中にはこってりとしたメニューも。このパイナップルは驚くほど甘くて感激した。
温かいピーナッツ豆腐。
マンダラー祝いは10:30から広場でセレモニーが始まり、島内を練り歩くパレードは11時からなのだが、10:45発のフェリーに乗らないと那覇へのフライトに間に合わない。もう一本遅いフェリーにしたとしても、石垣空港までタクシーに乗れば間に合うかも・・・とも考えたが、フェリーが遅延する可能性もあるので(実際に遅延した)、セレモニーとパレードは諦めてイベントの準備の様子をじっくりと拝見することに。。
ギンギンに飾り立てられた水牛車。このセンスは中国に近いような気がする。
97歳を迎える主役が最前列に座って、水牛に引かれながら島内を巡る。
晴れの大舞台を任されて緊張の面持ちの水牛くん。この後すぐに花飾りを角に付けてもらっていた。後ろに見えるのは島の小中学生の鼓笛隊。
おめでとうございます!まだまだお元気なご様子です。毎朝のラジオ体操が長寿の秘訣で、今でも台所に立って自炊をされているそう。(八重山毎日新聞の記事)
見習いたい・・・
幸せそうな翁のお顔を見られたことに満足し、セレモニー開始の発声は背中で聞きながら早足で宿に戻る。
宿ではフェリー乗り場まで送迎するためにスタッフが待っていてくれた。ありがたや。
フェリーの定刻は10:45だが宿を出たのは10:40。「ここから2~3分で到着するけどチケットを買ったりしていると間に合わないかもね。でもこの天気じゃあ船も遅れてるんじゃないかな?」なんて言われながらフェリー乗り場に到着したら、案の定遅延していたので無事に乗れた。
帰りは安栄観光の便だったが、往路のドリーム観光の船よりもかなり大きい。このまま勢い良く岸壁に乗り上げてにっこりと笑いながら手をパチパチできたので、飼育員のお姉さんからご褒美にイワシを3匹もらいました。んなこたーない。
船体は大きくなったけど、波頭を切って豪快に白波を浴びながらぎゅいんぎゅいんと進んで行く。写真は特に見せるほどの意味はないけど、なんかちょっと引っ掛かるイラストだったので。
あっけなく石垣島に到着。ターミナルの目の前から路線バスに乗り、少しゆとりを持って空港に到着した。
竹富島にはわずか20時間あまりの滞在だったが、同じ時間を石垣島の離島ターミナル付近で過ごすことに比べて「日常から離れた体験」ができたような気がする。竹富島を訪れる観光客の多くは、日帰りで数時間ほど過ごすだけだが、それだけでは感じられないことも多い島だと思う。
だけど、もしまた八重山諸島に来る機会があれば、今度は石垣島をぐるりとドライブするか、西表島に滞在してみたい。かな。
聞けば明日は(数え年で)97歳を迎える女将さんの叔父さんの“マンダラー祝い”で、島を挙げてお祭りとパレードが催されるので「時間があればぜひ観て行ってください」と声を掛けてくれた。
<<<竹富島の一つ前の投稿はこちら
宿の入口にも横断幕が。
「マンダラー」とは風車のことで、反時計回りに回転する風車が、時間を戻して子供に還る輪廻の象徴なのだとか。97歳になると子供の心に還るという言い伝えから、こうした風習ができたらしい。
ちなみに竹富島では「マンダラー」だが、八重山の各地域では「カジマヤー」と呼ぶのだそう。
高那旅館の別館のシーサー。沖縄赤瓦を利用してつくられていることがわかる。
旅館の入り口にある待合室の前は、いきなり民家のような部屋になっており、お婆ちゃんがいる実家に戻って来たような気分に。
旅行サイトのレビューでもボリュームたっぷりと評判の晩ごはん。小鉢まで全てが家庭料理のような味付けで、温かい気持ちになる。刺し身はマグロとイラブチャー(アオブダイ)。左上の石垣牛は、身がしっかりと締まっていて噛みごたえがあり、口の中でじわじわと牛肉の味が滲み出てくる。島の南側にある養殖場育った車海老もうまい。
おかずを食べるだけで胃袋の限界を超えてしまい(残さず食べた)、お櫃の中の炊き込みご飯(じゅーしぃ)に全く手を付けられなかったのが心残り。
このお椀がカラダに染み渡るように美味かった。
大瓶を一本空けてから旅館オリジナルの泡盛をちびちび飲んでいるうちに、他の客は部屋に戻ってしまった。女将さんに「もうちょっと此処で飲んでいても構わないか」と訊ねたら、まぁ仕方ないねという感じで承諾してくれた。
九州はもとより沖縄本島よりも遥かに台湾に近いこの島で、さっき出会ったばかりのお婆さんの手料理を腹がはち切れそうになるほど食べ、「NHKのど自慢チャンピオン大会2015」をぼけっと観ながら泡盛で酩酊し、外に出たら月明かりに照らされた白い道が闇に続いている。自分が今どこでなにをしているのか。急に現実感を喪失した。
かなり酔っ払っていたけど、部屋に戻っても他にやることはないし、まだ21時にもなっていなかったのでカメラと三脚を持って部屋を出た。なにせここは、驚くほどの星たちが天を覆うことも魅力の島なので、(経験はないけど)のんびりと写真に収めてみたい。でも今夜は雲だけではなく空の霞が光を遮っていて、肉眼では東京とさして変わらないほどにしか星が見えなかった。そのまま1km近く離れた船着場まで歩こうと思ったけど、宿から数分のところにある集落の端境で北斗七星が見えたのと、その先があまりにも暗すぎたこともあり、その場に三脚を据えた。
するとどうだろう、1分近くシャッターを開けると、肉眼ではほとんど星が見えないのに、月明かりに照らされた地表と星たちがくっきりとデータに記されている。夢中になってシャッタースピードを変えながら写真を撮っていると、程なくして自分の瞳孔が少しずつ開くにつれて、闇の重さを纏いながら周りの景色がぼんやりと見え始めた。耳を澄ませば、騒がしいほどの虫の声と、低く唸る鳥達の声に取り囲まれていた。
北斗七星と地表の道路が呼応するようにカーブを描いている・・・ことに気付いたのはたった今。
月明かりだけなのに、道路や樹木の色が再現されていることに驚いた。
デイゴの花が見事に咲くと、その年は台風の当たり年で天災に見舞われるという言い伝えは『島唄』でも知られている。そしてこの花は県民投票で選ばれた「沖縄県の花」でもある。
朝になって目覚めたら、風は強いものの雨は降っていなかった。島の皆さんも胸を撫で下ろす。
朝ごはんも品数が多く、中にはこってりとしたメニューも。このパイナップルは驚くほど甘くて感激した。
温かいピーナッツ豆腐。
マンダラー祝いは10:30から広場でセレモニーが始まり、島内を練り歩くパレードは11時からなのだが、10:45発のフェリーに乗らないと那覇へのフライトに間に合わない。もう一本遅いフェリーにしたとしても、石垣空港までタクシーに乗れば間に合うかも・・・とも考えたが、フェリーが遅延する可能性もあるので(実際に遅延した)、セレモニーとパレードは諦めてイベントの準備の様子をじっくりと拝見することに。。
ギンギンに飾り立てられた水牛車。このセンスは中国に近いような気がする。
97歳を迎える主役が最前列に座って、水牛に引かれながら島内を巡る。
晴れの大舞台を任されて緊張の面持ちの水牛くん。この後すぐに花飾りを角に付けてもらっていた。後ろに見えるのは島の小中学生の鼓笛隊。
おめでとうございます!まだまだお元気なご様子です。毎朝のラジオ体操が長寿の秘訣で、今でも台所に立って自炊をされているそう。(八重山毎日新聞の記事)
見習いたい・・・
幸せそうな翁のお顔を見られたことに満足し、セレモニー開始の発声は背中で聞きながら早足で宿に戻る。
宿ではフェリー乗り場まで送迎するためにスタッフが待っていてくれた。ありがたや。
フェリーの定刻は10:45だが宿を出たのは10:40。「ここから2~3分で到着するけどチケットを買ったりしていると間に合わないかもね。でもこの天気じゃあ船も遅れてるんじゃないかな?」なんて言われながらフェリー乗り場に到着したら、案の定遅延していたので無事に乗れた。
帰りは安栄観光の便だったが、往路のドリーム観光の船よりもかなり大きい。このまま勢い良く岸壁に乗り上げてにっこりと笑いながら手をパチパチできたので、飼育員のお姉さんからご褒美にイワシを3匹もらいました。んなこたーない。
船体は大きくなったけど、波頭を切って豪快に白波を浴びながらぎゅいんぎゅいんと進んで行く。写真は特に見せるほどの意味はないけど、なんかちょっと引っ掛かるイラストだったので。
あっけなく石垣島に到着。ターミナルの目の前から路線バスに乗り、少しゆとりを持って空港に到着した。
竹富島にはわずか20時間あまりの滞在だったが、同じ時間を石垣島の離島ターミナル付近で過ごすことに比べて「日常から離れた体験」ができたような気がする。竹富島を訪れる観光客の多くは、日帰りで数時間ほど過ごすだけだが、それだけでは感じられないことも多い島だと思う。
だけど、もしまた八重山諸島に来る機会があれば、今度は石垣島をぐるりとドライブするか、西表島に滞在してみたい。かな。